倦まず弛まず

目指せプチ科学。馬鹿は馬鹿なりに考え続けるのだ!!
「 適応的に生きよう 」とはどういうことか
 多くの人には嫌な事とか悩み事があると思います。
「職場の上司と口をききたくない」とか、「こうしたいことがあるのに希望通りにならない」とか。
そして、そういった壁にぶち当たったとき、人はつい感情的に行動してしまいがちです。
上司と顔を合わせないように逃げ回ったり、木で鼻を括ったような返事しかできなかったり。
希望通りに事が運ばないのに腹を立てて怒鳴り散らしたり対象物を破壊したり、そんな希望は始めからなかったことにしたり。

 そういった感情に任せた行動で対処しても構わない場合もありますが、嫌な事が嫌であるほど、悩みが深刻であるほど、そういう対応では状況が悪化してしまいがちです。上司を嫌えば嫌うほど上司からも嫌われて待遇が悪くなり、もっと上司の事を嫌いになる。「こうしたい」と思う気持ちが強ければ強いほどそうならないことに余計に腹が立ち、希望通りに事が運ぶ可能性が低くなる。

それって短い人生を充実したものにする上でとてももったいないことだと思います。
自分は本当はどうしたいのか?何が自分のためになるのか?何が障壁なのか?そして、どうすれば自分は最も心地よい状態で生きていけるのか?
これらのことを考えて実践していくには、とりあえず感情は脇に置いておいて自分の事を客観的に洞察しなくてはなりません。ただし、感情は自分の「心地よさ」のバロメーターなので無視してはいけません。とりあえず置いておくだけです。

自分は嫌いな上司のいるこの会社に居続けたいのか?できれば上司との関係を改善したいと思っているのか?関係改善が自分のためになるのか?あるいはいっそのこと会社を辞める方が自分のためになるのか?それらをすることには何が障壁なのか?そして、上司との関係を改善すれば会社での自分の居心地は良くなるのか?それともこんな上司とずっと付き合っていくと自分が腐ってしまうから、新しい仕事にチャレンジする方が心地よいのか?

いちいち整理して考えれば、自ずとやるべき事が見えてきます。
そして感情と理性がきちんと相談して決めた事は、後悔しないで済むものです。良くない結果が出たとしても、「ここまでやってだめなら仕方ない」と諦めがつくからです。

 感情を重視する事は、言い換えれば現時点での心地よさを重視する事です。それに対して、何が本当に自分のためになるかを考えて実行する事は時に現時点での心地よさを軽視する事になります。
 今の自分にとって面白くない作業かもしれませんが、今の自分も未来の自分も大切な自分です。今の自分は未来の自分のためにあると言ってもいい。ならば、人生先が見えないうちは、今の自分は未来の自分のためになるべく奉仕した方が良いと思います。
 ただ、今の自分は未来の自分の資本ですので、将来期待できる利益以上にすり減らしてしまっては意味がありません。ですから、「現在の心地よさを犠牲にすることから生じるデメリット(投資)」と「将来期待できるメリット(利益)」を天秤にかけてとるべき行動を決めなければなりません。
 上司との関係改善に必要な努力を投資だとすると、これと「その会社に居続けることで期待できる利益」を天秤にかけて、重い方を重視するのです。会社に居続けたってキャリアも給料もしょぼしょぼでこれ以下はない(利益が少ない)、とか上司と一緒に仕事するくらいなら死んだ方がまし(必要な投資が大きすぎる)というなら相対的に投資が重すぎるということで投資は中止。あるいは上司は悪い人ではないのでちょっとがまんするだけで上司との関係改善が見込める(必要な投資が少しでいい)、というなら利益の方が重いので他に要素がなければ投資する方がいい。

 「自分のため自分のためって、自己中心的だな」と思うでしょうか。
しかし、人は本来自己中心的なものです。短期的に見れば見返りを期待しない行為であっても、長期的多面的に見れば実は見返りを期待している、ということはよくあるでしょう。「 情けは人の為ならず 」の本来の方の意味が表しているようにね。

 ただし、繰り返しますが「何が本当に自分の為になるのか」を見誤ってはいけません。現在の心地よさと混同してはいけません。これを区別するには自分を客観視することと、飽きずに嫌がらずによく考える事ができなくてはなりません。それができていないのに「自分のため」だと信じて何かをしたら、自分や周りを傷つける事になるかもしれません。
 自分を客観視する訓練には、日記をつけることをお薦めします。自分の感情を書き、なぜそう感じたかを細かく解析し、他人や自分について考えつく限りの仮説をたて、たてた仮説を検証するのです。日記と書きましたが毎日つける必要はありません。なにか良い事でも悪い事でも、強い感情が湧いてどこかへ吐き出したいときだけでいいのです。

 以上のように、今の自分だけでなく人生全体を見渡したとき、どうすることが最も自分にとって良い事なのかを考えて行動しよう、ということを表題の「 適応的に生きよう 」と表現しました。
 こういった物の見方は別に目新しい事でもなんでもなく、大人になれば誰でも意識or無意識のうちにやっていることかもしれません。しかし、自分の為に生きる事をワガママだとして嫌う日本社会では、普通の大人はこんなこと教えてはくれません。
 一方で、何かをがんばるとき、あるいは何かを我慢するとき、諦めるとき、闇雲にがんばったり我慢したり訳も分からず諦めたりするよりは明確な理由を添えて「自分のためになる」と認識してやるほうがずっと楽です。

 適応的という言葉は生態学の専門用語で、ある生き物がある環境でたくさん子供を残せるタイプであるという意味です。「適応的な生き物だ」と述べる事は、「たくさん子供を残せる生き物だ」と述べるのと等しい事です。
 しかし、人間においては子供を残す事がすべてというわけではないし、本来の意味に限定して適応的という言葉を使うと書ける事がなくなってしまうので、ここでは「よりよく生きることができる」「より快適に生きることができる」というような意味で「適応的」を使います。「ある環境でよりよく生きられること」を「より適応的である」ということにします。
 単に「よりよく生きよう」と書かないのは、今の心地よさと将来に期待できる利益を天秤にかけた上でとるべき行動を決定する、というスタンスをはっきりさせるためです。

なかなかうまい説明ができませんでしたが、
「適応的に生きよう」というのは、端的に言えば「自己熟考のススメ」であります。
自分についてよくよく考えて、できる限り自分にとって良い人生を送りましょう、という提案です。
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by panaco | 2005-08-10 14:23 | 適応的に生きよう!(恋愛など)
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