倦まず弛まず

目指せプチ科学。馬鹿は馬鹿なりに考え続けるのだ!!
<   2008年 10月 ( 1 )   > この月の画像一覧
目が見えるとはどういうことか〜遠視 理論編
すっかりご無沙汰です、ぱなこです。
最近、なかなか面白いことを思いつけない日々であります。
しょうもない内容でも、まとまった文章を書こうと思うと集中力が必要なんだなぁと感じる今日この頃。


さて。
今回は昔の記事「遠視 エピソード編」の続きです。
皆様、視覚についての説明の中で、こんな感じの絵を見たことはありませんか?
e0024903_17562372.gif

あるいはこんな。
e0024903_17564731.gif


子供の頃はふーんといって流していたのですが、今頃になってどうも違うんじゃないかと思うようになりました。
なんかよく分からんということは、よく考える余地があるということです。
木の絵と目の絵は、どうして縮尺がこんなに違うのか?
目の奥に、ほんとにこんな風に絵が映るのか。

間違いの答えを先に言ってしまうと、上の絵は、目の中で光を表す線が交わっているところが決定的な誤りで、その他のところも説明をするための絵としてはまったく不十分です。目の奥に像が映るというところは間違いではありません。
下の絵は、眼球の構造自体は丁寧に描いてありますが、光が曲がるところが眼球の表面になってしまっているところと、瞳孔の上を光が通過しているのが誤りです。光が曲がるのは角膜を通る時とレンズ(水晶体)を通過する時です。

こういった説明の絵では一般に、光は平行に目に入ってくることになっています。
遠くから光が来ることを想定しているから角度は無視してもいいのだ、というのが彼らの言い分です。
それに対して、目の仕組みを説明しようと言う時にそういう想定を置くことは理解の妨げになるというのがぱなこの主張。


一番大事なのは、光が「波」の性質をもっているということ。
ぽちゃんと水たまりに石を落とすと波が広がっていくように、光も普通は発せられたところからブワーっと広がっていきます。
四方八方に広がっていくのです。


e0024903_17591971.gif

ところがこの状態だと光源の色や形はブワーっと広がったままで、何が何やら分かりません。
ミドリムシ基準なら「波」がやってくる方向さえ分かれば良いので「見えた」と言えますが、ヒト基準ではこれでは「見えた」とは言えません。



例えば、小さな光の点があるとき。
これを目で見て「小さい光の点である」と、どうやって認識するかというと。
四方八方にブワーっと広がった光のうち、目の中に入ったぶんだけを、もう一度一点に収束させて網膜に映すのです。
e0024903_1865915.gif

瞳孔を通った光は、レンズ(水晶体)に入る時と出る時に屈折します(絵の入射角は適当です)。
レンズの中心に近い程屈折せず、中心から遠い程よく屈折して、レンズの厚みに応じたある距離で像を結びます。これは普通の虫眼鏡と同じ現象です。
点から発せられて拡散した光が、もう一度点に収束してこれが網膜に映った時に、「光の点が見えた」と言えます。
(この絵は単純にレンズの働きだけを表していますが、実際には角膜が結構光を屈折させるので、レンズは焦点合わせの微調整をするだけだという噂です)



次にちょっとだけ複雑にしてみましょう。
光の点が青、緑、赤の三つあるときです。
e0024903_18105732.gif

それぞれの色の光がブワーっと広がって、全部混じると白色光になってしまいます。
ちなみに青と緑だけが混じるとシアン、緑と赤だけが混じるとイエロー、赤と青だけが混じるとマゼンタになるそうです。
これを元通り青と緑と赤の3つの光の点があると「見る」には、やはりそれぞれの光がレンズを通して再び収束して光の点になって網膜に映らないといけません。
なおこのとき上下左右が逆転するのは、これはもうレンズというものはそういうもんなのです。
光を収束させるにはレンズが一番便利だが、レンズを使うと上下左右がひっくり返っちまうのです。
でも悲観することはない。
目の先には脳と言う便利なものがあるので、ひっくり返った像はそこでもう一度ひっくり返せば万事オーライさ。

もっと複雑な風景などは、つまり点描画だと考えればよろしかろう。
写真でもそうですが画素数(視細胞)が十分に多いので滑らかな絵が見えるのです。


そして、網膜で合うべき焦点が網膜よりも遠いところで合ってしまっているのが、遠視って奴です。
逆に網膜に届く前に合ってしまっているのが近視です。
もういろんな光が混じり合っちゃって、網膜に映るのは白ばっかりです。
e0024903_18162094.gif

遠視の図




レンズは元々厚みの有るものですが、普段はレンズをぐるりと取り囲んでいる毛様体筋によって引っ張られてちょっと平たくなっています。
まぶしいと瞳孔がキュッと小さくなるのと同じように、近くを見るとき毛様体筋が形作る円はキュッと小さくなります。
すると、レンズを引っ張る力が弱まって、レンズは厚みを回復します。
毛様体筋をキュッと小さくするには力が必要で、小さくしている間は緊張が続くことになります。
逆にレンズを薄くするために力を使うことはできません。
一番薄い状態から厚くすることはできるけど、一番薄い状態からもっと薄くすることはできない。
それが、遠視はピント合わせができるが近視はピント合わせできない理由です。

(追記2008.10.6. 毛様体筋ciliary muscleは、レンズを取り囲む環状の筋繊維であるMüller筋と、放射状の筋繊維であるBrücke筋とが一体になってできているようです。つまりBrücke筋が毛様体筋全体、ひいては毛様体筋にぶらさがっているレンズを目玉(強膜)につなぎ止めて支え、Müller筋がレンズの厚みを調節するわけですね。複雑な連係プレーだ。MüllerさんとBrückeさんはダーウィンと同時代の人です。目の進化について悩んでいたダーウィンは、きっと彼らの発見についても知っていたことでしょう。)


こんな風に書けば遠視の人が何を見るにも疲れてしまう、というのがご理解頂けるでしょうか。
e0024903_18202952.gif

一応何でも見えるけど、何を見るにも疲れてしまうので、特に注意を払うべきことが無い場合にはどこへも焦点を合わせずにホゲーとしていることが多いです。
何かを見つめている様子の恋人に「なにみてるの?」と尋ねた時、「なにも。」と言われてムカッと悲しいこともありましょうが、本当にホゲーとしている時にはそう答えざるを得ません。認めてあげてちょうだい。
テレビの方を向いているからテレビを見ているんだと思って番組のことを話したら、話が通じない。そんな時ハァ!?と言いたいこともありましょうが、ホゲーとしていた場合は実際テレビは見ていなかったのでどうしょうもありません。許してあげてちょうだい。


そして行き着く先は老眼です。
他の筋肉と同様に目の筋肉も歳をとると衰えます。
レンズの柔軟性は低下します。
つまりはレンズを分厚くする能力が低下するのです。
そうしたが最後、遠視の人は遠くは見えない、近くはもっと見えない、嗚呼!!
仕方ないんですけどね。
近視の人は遠くは元々見えないし、近くを見るのにあまり筋肉を使わないので、老眼になっても老眼前とのギャップが比較的少なくて済むようです。

この先なるべく必要ないものは見ないように生きていきたい。
そういうわけには、なかなかいかないよなぁ。。
この眼が見える限り、眼精疲労と付き合っていくことになりそうです。
[PR]
by panaco | 2008-10-05 18:36 |


by panaco
プロフィールを見る
画像一覧
検索
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
非exciteリンク
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧