倦まず弛まず

目指せプチ科学。馬鹿は馬鹿なりに考え続けるのだ!!
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関東人は見栄のためにウソをつき、関西人はネタのためにホラを吹く
関西ネイティブでない方が関西弁を話そうとすると無理が生じます。
どう違うのか述べにくいのですが、きもちわり〜ぃ〜感じです。
先日見た必殺仕事人に上方の外道仕事人グループが登場していましたが、彼らの話す言葉がきもちわり〜ぃ〜関西弁だったので、我が家では「あれはきっと上方に罪を着せようとする江戸のグループの陰謀である」などという意見が最も説得力を持つ始末でした。

「関西人の設定だからって無理して役者に関西弁(もどき)をしゃべらせないでくれぇ」

というのが、多くの関西人の気持ちです。
きもちわり〜ぃ〜関西弁を聞かされると、どうもその気持ち悪さが気になって話の内容に集中できないのですよ。
おそらくどこの方言でも付け焼き刃で話せば、同じ気持ち悪さを現地人に与えることでしょう。

考えてみました、違和感がどこから生じるのか。
素人考えですが、言葉を構成するのは文字に出来る言葉に加えて音の高低、強調、抑揚…かな?
すべての組み合わせにおいてルールがありますよね。
あと発声方法も地方によって違うようです。
東京の人が「だよね〜」と言うのと同じ発声でつるりと「なんでやねん」と言ったところで伝わるものは気色悪さだけ…
思うに、字面だけ真似すれば事足りると思うのが間違いの始まりなのではないでしょうか。
「なんでやねん」と言うときは、「なん」に呆れた感情を込めて低めの音から始め、「で」を強すぎるくらいに強調して母音を嫌みな感じではっきり発音する(顔が歪むくらい)、「やねん」は、はっきり言ってどうでもよろしい。

方言って、基本的に感情表現のための言葉なのではないでしょうか。
適切な強さの感情を適切な強さの方言に乗せずに話すと、その乖離がきもちわり〜ぃ〜「この人まがい物やな、本心じゃないな」感を醸し出すんじゃないかな?
そして関西出身の人も東京の言葉を使うとき、どのような感情をどのような東京弁に乗せて話していいかわからない。
てきとーに真似してみるとどうも違うようである。
デフォルトで感情表現することに慣れている人間は、言葉が自分の感情を正しく(自分が意図したように)表さないことに罪悪感を持つのです。ウソをついているような気がする。
そんな罪悪感を持つくらいなら、と他所の人にも分かるように関西弁ベースで少しずつ周囲の人が話す言葉を混ぜていく、というのが関西外に暮らす関西人の方便なのだと思います。
関西の人はなぜ東京で関西弁を直さない?と疑問に思っている方、実は関西の人でも出身地で話していたのとはずいぶん違う話し方をしているのですよ。
それは言葉(字面)であったりスピードであったり勢いであったり抑揚であったりいろいろですが、まったく関西出身とは分からない関西人もいます。

ネイティブは、方言の全体をマスターしていて人と話すときは相手との関係性を鑑みながら引き算で標準語に近づけていく。
一方よそ者は、その方言の特徴的な部分を抜き出して標準語(or自分の方言)に足していく。
ネイティブが最後まで残すものとよそ者が最初に足すものは、多分まったく違うものなのだと思います。
例えば京都人が最後まで残すのは抑揚だが、東京人はとにかく「ねん」を足す、とか。
最近ドリカムが「大阪LOVER」という大阪弁を混ぜた歌をリリースしましたが、あれも足し算大阪弁ですよね。
「拙いところが可愛くてスキ!」という向きもあるようですが、ぱなこ的にはいつものドリカム通り「〜やねん」は「〜なんだ」、「〜やもん」は「〜だもん」で歌ってくれた方が、据わりが良くてずっと安心して聞けます。

タイトルの件ですが、これはぱなこが最近発見した法則です。
どうも東京の人は見栄のために小さなウソをポコポコつくらしい。
例えば大学やめてフリーターになったのに複数大学から集まったサークルの仲間に「期末試験が大変で〜」と言うとか。
金曜日の夜にケーキを食べようと思ったとき、一人暮らしで食欲も普通なのに二人分買ったりとか。
男性誌を女性が自分の興味で買う時にお遣い物のふりをするとか。
なぜそんなことをするのか、心理も効果もいまいち分かりません。
一方大阪の人は話を面白くするためにおおげさに喋ります。
がーっとかだーっとか、効果音がつくだけでもだいぶ大げさになります。
自分のことを大げさに話すだけなら楽しくていいのですけど、他人のことを大げさに話すことはやめてほしいような気もします。

ーーーーーーーーーー

この度わたくしぱなこは、4年間に亘った東京間借り生活を解消することと相成りました。
もっともこのサイトは変わらず続ける予定なので、皆様にはこれからもご愛顧くださいますようお願い申し上げます。
これから引っ越しのことを考えないといけないのですけど、だるだる〜。
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by panaco | 2007-03-27 14:23 | その他
革製品を「休ませる」の謎
革製品に限ったことではないですが、靴屋さんや鞄屋さんが時々言うことには、
「毎日使うと早く痛むから、一日履いたら(使ったら)何日か休ませませなければならない」のですよね。

これってホント?

単にさ、毎日履いていると一年でダメになるものが2日に一回にすると2年でダメになるって話じゃないの?
どちらも365回履いているわけですが、パッと見長持ちしてるような気がするだけでは?

そりゃー、ぱなこは毎日働かされるよりも一日おきにお休みを頂いた方が元気で長持ちすると思われます。
それは靴と違って「生きている」からです。

さてそこで、なぜか革製品のお手入れについて語る人は「革製品は生きている(ようなもの)」とおっしゃいます。
ぇえええ、生きているってどういう意味ですか。
傷がついてもしばらくすると治るということ…なはずもなし。
子供を産むということ…なはずもなし(そうなら楽しいんですけど)。
そこんとこぜひもう少し詳しくお願いしたい。
もし、「生きていると思えば優しく扱えるじゃん」とかいうのならそれでも構わないので、正直に申告してください。
土屋鞄製作所のお手入れコーナーではそういうことは一切書かれていなくて好感が持てます)

なぜこんなことを考えているかと言うと、ぱなこが長年ヘビーローテーションで履いているローファーがだいぶ痛んできたのですよ。
ヒールの底は2or3回程張り替えました。
でも今度ソールにヒビが入って来て。
大々的にリペアしたもんかどうかと悩み中なのです。
ヒビに気付いてからすでに2年とか経つんですけどね。
秋から春にかけては毎日履くことも珍しくなく(夏の間はバケーションとりやがります)、にもかかわらずかれこれ10年です。
若干履き心地に難ありなので、重宝はしているけど愛してはいないんです。
だからこそあんまり大事にせずにヘビーローテーションだったりするわけですが…どっこい未だにくたばらない。

服とか靴とか、流行のあるものって、「わぁ可愛い!!」と思って買ったらガーっと使って履き潰して(着潰して)満足してさよならする、っていうのがエコは置いといてファッションの面では理想だと思うのですけど…。
ま、ぱなこのローファーは極めてオーソドックスな色と形ですし(過去記事「水たまり攻略法」の挿絵参照)、革製品は高価で手間のかかった品物ですから、長く使うにこしたことはないのですけどね。


何が言いたいかと言うと、ぱなこのローファーが長年のヘビーローテーションにも関わらず未だにくたばらないことを考えると、長持ちさせることに「休ませる」ってのは実は関係ないんじゃないかと。
てか、もうさよならする?まだ使う?う〜〜〜ん。10年履けば上等か?でもリペアすると履き心地が良くなるかも。

それにしても、死んだ生き物の革を「生きている」と称するって、なんかこうウェットでキモイ精神のように感じられるのはぱなこがひねくれているからでしょうか。
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by panaco | 2007-03-09 13:40 | その他


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